最終更新:2005/10/16

道交法と禁酒法

歴史に残る大きな過ちだと、アメリカ政府も認めた失策が禁酒法だ。
ニッポンの交通行政・風俗行政を、禁酒法下のアメリカと比較すると、多くの共通点が存在する。

禁酒法とは

 1920年1月16日、アメリカはアルコール飲料の製造、販売、輸送、輸出入を禁止する連邦法を施行した。※連邦法では飲酒自体は禁止されていない。 こうして憲法修正第18条と禁酒を執行するためのボルステッド法(禁酒法) は、ギャングに醸造業者という不法ながら独占的な市場を与えた。

  そしてアル・カポネに代表されるギャングたちは、市民に歓迎されながら莫大な利益を上げることができたのである。 「私が法を犯しているとしたら、シカゴの何百人という著名人も有罪だ」とカポネの言う通り、シカゴの判事や政治家や警察も腐敗し、あまり熱心な酒類取締官は転勤させられたという。ワシントンの高官やシカゴ市長でさえ、密売人から賄賂を受け取っていた。新聞記者も、収賄によってカポネの不利益な記事を書くことはなかった。またギャングたちは、協会、病院、孤児院などにもカネをばらまいていたので一般市民の支持も得ていた。

 また裁判所も禁酒法違反で起訴があっても、大部分を却下した。その理由は、判事が買収されることが多かったからである。当時にもし、禁酒に関する法律が誠実に執行されていたら、裁判所は被告でいっぱいになったはずだといわれている。

 このようにして、密造工場と全米で30万件のもぐり酒場は、様々な犯罪組織の資金源となっていったのである。禁酒法は1933年に撤廃されたが、犯罪組織は既に十分な資金を蓄えており、賭博や売春といった昔からの商売のほか、合法的なビジネスを買収することも可能となっていた。

■日本の速度規制と禁酒法

 禁酒法が法制化される過程には宗教や人種による対立による要因もあったが、その端緒は酒を飲まない有力者達が泥酔者を忌避したことにある。そして、禁酒法の下で何百万人というアメリカ人が犯罪者を通じて違法な酒を買っていた事実が、犯罪を抑止しようとする精神と規範意識を低下させたのである。

 一方、現代ニッポンでは非現実的な速度規制がつづいている。国際的にみても低すぎる日本の速度規制が、道路を速度違反者であふれさせている。そして「だれもが違反している」という現実が、法に対する規範意識を薄れさせ、「法の権威」さえも失墜させているのだろう。つまりニッポンは、禁酒法時代のアメリカと同じ過ちを犯しているのである。

■日本の風営法と禁酒法 (パチンコ・ソープランドと禁酒法

 パチンコ店が景品ではなくお金を払い戻したときには、賭博罪が成立する。しかし景品としてライターの石などを客に渡し、客が隣接した交換所(古物商)で現金化するなら合法とされている。このおかしな違反逃れのシステムを育てたのは警察だ。

 売春はもちろん違法だ。しかし、街の特定地域には「ソープランド」が堂々と店を構えている。この警察の許認可上での「特殊浴場」で売春が行われていることは、周知の事実である。

 どう考えてもおかしい。ダメなものはダメ、社会の円滑のために必要なら合法とすることが禁酒法の過ちに学ぶべきものである。
 学ぶどころか、〝大きな網〟でいくらでも取り締まりのできる状態を作り出し、〝許認可の裁量〟という運用面を操作してそれぞれの業界は警察に支配されている。
  そして〝大きな網〟と〝許認可の裁量〟こそが、業界を支配する道具である。