非科学的な交通捜査 - 人身事故が増える本当の理由

これまで警察は「死亡事故多発」を強調して、交通取締りを正当化してきた。
それが死亡事故の減少傾向を受け、名目は次のように変わっている。
死者は減っているが、人身事故は増えている
このような警察発表はさておき、
人身事故が増えているのには、特別な理由が存在するようだ。

死亡事故が減っている理由

ちまたでは、「死亡事故が減ったのは医療の進歩によるところが大きい」などといった、もっともらしい理由が語られている。しかし、交通事故において、人の生死を分けるのは、救命処置のスピードだ。有効な救命処置としては、心停止に有効な除細動、呼吸停止に有効な気管挿管、そして薬剤投与、この3つの処置があげられる。これらの救命処置は、諸外国では救急救命士が行っているのに対し、ニッポンではお医者さまにしか許されていなかった。

今世紀の初頭、医師法違反で検挙されるリスクを負って、こうした処置をする救命士の存在などが報道され、「ニッポンの救急救命士にも救命処置を!」といった気運が高まり、そして、やっとこれらの処置ができるようになりつつある。

除細動 2003年4月より
気管挿管 2004年7月より
薬剤投与 2006年4月より

このように、死亡事故の減少に確実な影響を与えている医療の変化は、「医療の進歩」といった漠然としたものではなく、大昔からある救命処置を迅速に施術できる環境が整い始めたところにある。

法的に許されたからといって、各地の救命士が一斉に行っているわけではない。さまざまなトレーニングを経て実施されていくので、地域によって相当な開きがあるようだ。つまり、今後も数年間、救命活動の変化による死亡事故の減少はつづくのである。にもかかわらず、違反を取り締まるだけの警察が、死亡事故の削減目標を大々的に発表し、その減少を自分たちの手柄にするのやり口は、厚顔無恥と言い切ってよいだろう。

次に負傷者の増加する理由を考えてみよう

軽症事故が増える理由

自賠責保険収支の推移を調べてみると、傷害への支払い件数と総支払額が増加傾向にあるにもかかわらず、1件あたりの支払い額が緩やかな減少傾向を描いていることがわかる。このことは、補償額の安い軽微な事故が増加していることを如実に示している。

なお、交通捜査の警察官は、「お医者さまの診断書」があれば、それを人身事故として事故統計に加えており、軽症事故の増える原因はここにあるようだ。

「出来高払い」の医療システム
筆者は、医療機器を医療機関に販売する職に7年間従事した経験がある。そこで扱った商品には、売値が保健機関に請求できる金額より安いものも少なくなかった。いわゆる薬価差益だ。そうした商品を売るときには、医師に対して、「これを使うと差額が○○円になります」といったセールストークを口にすることも日常的なことであった。

こうした矛盾を生み出す日本独特の医療システムが診療報酬制度である。医療行為や医療材料の単価を国が定め、医療機関は施したひとつひとつの医療行為や医療材料を、保健機関に診療報酬として請求するという、いわゆる「出来高払い制」だ。別名「ヤブ医者ほど儲かるシステム」とも称される制度がもたらす現実を見てみよう。

doctor

意識を失った重傷者でない限り、医師はまず問診を行い、それから科学的な診断を行う。問診とは、「どこが痛いですか?」といった口頭でのやり取りだ。その上で相手が「痛い」という箇所に視診や触診を行い、それからレントゲンやCTやMRIなどの画像診断装置による診断を行うのがセオリーだ。風邪で病院にいくと、医師は胸部のレントゲン写真を撮りたがるように、「足が痛い」と言えば医師は必ずレントゲン写真を撮るものである。もちろん、より正確な診断のためには、画像診断装置は有効なのであるが、それとは別に病院経営上の理由がある。画像診断の収益が、病院経営上の大きな柱となっているということだ。だから、医師はレントゲン写真を撮りたがるのである。そうして、診察が終わり、問診で○点、レントゲン写真が×枚で計△点、処方箋で□点、合計で◎◎点。これが病院の売り上げだ。ちなみに、1点は10円で計算される。「うがった見方」だと言われるだろうが、これが医療の現実だ。

このように、ケガがあるから診断書が出るのではなく、医師に診てもらったから診断書が出る、という側面が存在するのである。にもかかわらず、交通捜査係の警察官は、「お医者さまの診断書」を「人身事故の被害者証明書」として扱っている。

診断書は簡単にもらえる
ケガがなくても医師が診断書をだしていること実証するために、痛くないひざが「痛い」といって診断させた。
※この動画は、ケース2における裁判所提出用の証拠として作成したものです。

なお、「お医者さまの診断書」は学校や会社を休む場合に求められる場合もあり、診断書を書く医師が加害者の刑事責任を左右する責任の重さ感じる必要はない。一方、捜査機関や裁判所は、診断書を「被害者証明書」ひいては刑事責任を追及するための「揺るぎない証拠」として扱っている。訴追の論拠を押し付けられる医師は、たまったものではないはずだ。

軽微事故の現実
交通捜査の警察官は、「お医者さまの診断書」さえあれば、それを人身事故として扱い、刑事罰を振りかざしながら加害者に示談を促している。一方、加害者が「お医者さまの診断書」に対抗することはできない。したがって、示談を有利にすすめる材料として「お医者さまの診断書」が利用されることは決して少なくない。少なくないというより常識といっても過言ではない状況ではないだろうか。ささいな事故にも救急車を呼び、お医者さまに診てもらえば必ず診断書がでる。診断書さえ手に入れれば、示談は圧倒的に有利になる。なにしろ、警察が示談を後押ししてくれるからである。これが軽微な事故の現実だろう。

ケース・スタディ1(よくあるケース)
狡猾な被害者と愚鈍な警官 そして道路は大渋滞

重篤な人身事故での払い渋り
一方、ジャーナリストの柳原三佳氏らの指摘するように、重篤な交通事故における払い渋りという問題が起きている。自賠責保険は、各損保各社のいわば「先出し勘定」のようなものとなっており、各損保各社に支払いを抑制しようとするダイナミズムが働くのは当然である。それが補償額の高いところに向けられていると推察できる。

保険金総額(支出)が大きくなれば、保険料(収入)を上げなければならない。しかし保険料に連動する保険料率(保険料/保険金)は容易に変動させることはできない。保険料が上げられないのなら、保険金総額を抑えるしか方法はありません。そうして、保険金総額を抑えるために、個別の保険金を減らす現象(払い渋り)が起こるわけである。

念のために言及しておけば、人身事故における任意保険の補償は、自賠責保険の限度を超える分にのみ適用されている。ちなみに自賠責保険の限度額は、医療費のほかに、休業補償が1日につき5,700円、慰謝料が1日につき4,200円で後遺障害がなければ合計の限度額は120万円である。

司法機関が「医師の診断書」を参照する理由はあるが、医療制度の現実を鑑みて、精査するべきだろう。なお現在、日本の医療財政は危機的状況にあり、出来高払い制度は遅からず変革を迫られることになるはずである。

刑事罰を振りかざす警察
なお、被害者救済を目的とする自賠責保険は、加害者の意思にかかわらず、被害者請求が可能である。加害者がそれを拒むことはできない。このように特別な被害者救済システムがあるにもかかわらず、警察は、軽微な人身事故においても、刑事罰を振りかざして示談を促している。こうしたやり方が、「お医者様の診断書」を盾にした軽症者を増加させているのだろう。その結果が、本当に補償を必要とする重篤(じゅうとく)な被害者に保険金がおりないという事態につながるのである。

つまり、警察は、軽微な事故でさえ、刑事罰を振りかざしながら民事に介入しており、それが被害者救済どころか、似非(えせ)被害者を増加させ、結果として本当の被害者に保険金がおりない、という事態をひきおこしているのである。

こうした私の意見に対し、接してきた捜査機関・司法機関の公務員は、いっさい聞く耳をもたなかった。しかしながら、上掲した統計のほか、財団法人交通事故総合分析センターの調査結果「最近の交通事故の特徴」にも同様の記述がみられる。以下原文のまま抜粋する。

事故データをみるかぎり、今までであれば、被害者が診断や治療を求めなかったため物損事故として処理された事故が、最近では被害者の意識の変化で診断や治療を求めるケースが増加し、そのことが人身事故の増加につながっているのではないかとも考えられる。追突事故における2、3当の軽傷死亡比率の増加もその一端を示していると考えられる。

それでも警察が、「お医者さまの診断書」を拠りどころにして、加害者に刑事罰を振りかざすのであれば、「交通安全」という金科玉条のウラ側は、甘い汁をなめにくる蠅(ハエ)だらけになるはずだ。

お医者さまの診断書に対抗できるのか ケース・スタディ2

個人の不利益を争っても警察はかわらない。

これが本サイトの基本的な考え方なので、これまで私事の違反や事故をコンテンツにしたことはないのであるが、例外として、私事の交通事故をコンテンツに加えることにした。

事故態様は右動画のようなもので、下から上に移動する車両が私の運転である。この事故は、医者の診断書がポイントなり、私は刑事被告人として立件された。

2004年、クルマで通勤中、前に飛び出してきた原付バイクとの接触事故である。相手は、衝突前に転倒し、ひざを擦りむいた程度だ。緊急回避でコントロールを失った私のクルマは、横断歩道を渡りはじめた老人の前で停止した。事件を担当した加賀町警察署交通課交通捜査係高橋正人巡査(当時)は、横断歩道の老人(私は事故直後に証人を依頼していた)を証人とするよう求めても応じず、原付バイクが指定した証人だけを証人とした。

そうしているうちに、私が証人を依頼していた横断歩道の老人は、医者の診断書をチラつかせて、私に休業補償をせびってきた。私がそれを拒絶すると、老人は加賀町警察署に駆け込んだ。加賀町警察署は、私の求めでは証人にしなかったのに、被害者として現れた老人の話しには耳を傾けそれを調書にし、検察に送った。一方、加賀町警察署交通課田中課長(当時)は、私が提出しようとした陳述書の受け取りを拒絶した。

検察に呼ばれた私は、被害者との示談があって当然であるかのような五十嵐副検事の論調に対 し、「どうして赤で進入した相手と示談する必要があるのか」と反発した。また、五十嵐副検事の「警察を追認するのが検察の仕事だ」との 言葉を批判し、また、供述調書の写しを供述者に渡さない理由を追求した。さらには、五十嵐副検事の「医者の診断書は絶対だ」「医者の診断を覆すには怪我の ないことを示す診断書が必要だ」といった旨の言葉に対し、「あなたたちが(医者の診断書を盾にした)詐欺を蔓延させているんだ」と強く批判し た。

詳細については、上告趣意書にまとめてあるので、そちらを参照してほしい。また、事件発生から結審までの資料も閲覧できるようにした。なお、ニッポンの刑事事件において、起訴された事件が第1審で有罪となる確率は99%、控訴しても棄却される割合は70~80%程度、さらに上告してもその多くが棄却されている。

つまり、捜査機関が刑事罰の付与を決定しているに等しい状況にある、ということを統計が示しているのである。このことは、一時捜査を行う警察官が、市民に対する絶大な権力を持つことにつながっている。

参照⇒時代遅れの刑事司法