ひき逃げが増加した要因
2006年12月29日、警察庁はひき逃げと飲酒運転の厳罰化を柱とした道路交通法改正案を発表した。しかし、ひき逃げと飲酒運転の厳罰化は2002年に実施されたばかりだ。
改正前 | ![]() |
2002年の 厳罰化 |
![]() |
2007年の 厳罰化 |
![]() |
20013年の 厳罰化 |
||
酒酔い運転 | 2年以下の懲役 または 10万円以下の罰金 |
3年以下の懲役 または 50万円以下の罰金 |
5年以下の懲役 または 100万円以下の罰金 |
飲酒運転クライシス -完全版- |
||||
酒 気 帯 び 運 転 |
血中濃度 0.5 mg/ml超 |
3月以下の懲役 または 5万円以下の罰金 (6点の減点) |
1年以下の懲役 または 30万円以下の罰金 (9点の減点) |
3年以下の懲役 または 50万円以下の罰金 (9点の減点) |
||||
血中濃度 0.5 ![]() 0.3 mg/ml |
規定なし | 1年以下の懲役 または 30万円以下の罰金 (6点の減点) |
3年以下の懲役 または 50万円以下の罰金 (6点の減点) |
なお、ひき逃げ事件が明らかに増加したのは、警察不祥事が多発した1999年(H11)から2000年(H12)にかけてである。

前回(H14)も今回も、悪質なケースによる悲惨な事故が大々的にあつかわれ、それが法改正を後押ししている。しかしながら、法律の改正には、マクロ的な視点からの合理的な理由が必要である。
前回の厳罰化後、検挙数が減っているのは、厳罰化によって飲酒をひかえる傾向によるものだろう。
なのに、飲酒運転による事故が報道されるケースは明らかに増加している。それもそのはず、大きな網がかけられたから、警察が酒を事故原因に認定するケースが増加したからだろう。そうでなければ、統計的に矛盾する。
このことは、警察が「悪質な違反!」と断定するケースが激増したことを意味する。これが大きな網のおそろしいところである。
欧米の半分以下の酒気帯び基準
厳しいニッポンの酒気帯び基準
国 名 | 血中濃度 (mg/ml) |
アメリカ | 0.8/1.0 |
カナダ | 0.8 |
イギリス | 0.8 |
スイス | 0.8 |
シンガポール | 0.8 |
フィンランド | 0.5 |
デンマーク | 0.5 |
スペイン | 0.5 |
フランス | 0.5 |
イタリア | 0.5 |
ドイツ | 0.5 |
オーストラリア | 0.5 |
タイ | 0.5 |
トルコ | 0.5 |
アルゼンチン | 0.5 |
ペルー | 0.5 |
リトアニア | 0.4 |
日本 | 0.3 |
スウェーデン | 0.2 |
アルバニア | 0.1 |

Blood Alcohol Concentration Limits Worldwide

ここからは、厳罰化の原動力となった誰がみても悪質なケースではなく、2002年の改正前には違反にならなかった血中アルコール濃度0.3mg/ml未満(呼気中0.15mg/l未満)のケースに着目しよう。
2002年(H14)の改正で注目すべきは、この酒気帯び基準の大幅な引き下げだ。これによって、改正前は違反ではなかったものを違反とすることができるようになった。ひき逃げの罰則強化が同時に行われたのは、酒気帯びの発覚をおそれて逃走するケースの増加が予想されたからだろう。
改正前 | ![]() |
2002年改正 | ![]() |
改正案 | |
血中濃度 0.3〜0.5mg/ml |
規定なし | 1年以下の懲役 または30万円以下の罰金 (6点の減点) |
3年以下の懲役 または50万円以下の罰金 (6点の減点) |
どれだけ飲んだら違反なのかを具体的に示そうとせず、「悪質な交通違反」という抽象的なフレーズを乱発する警察は、「1滴でも飲んだら悪質だ!」とヒステリックに叫ぶ人たちを量産した。
しかしながら、それまでの日本では「飲んだら乗るな」と抽象的な標語がおどるばかりで、欧米のようにどれだけ飲んだら違反なのかを明示されることはなかった。
厳罰化の副作用
大事故を理由にひろげられた大きな網が、本当に悪質なケースに効果があがっているのかどうかはさておき、明白なのは大きな裾野部分におこっている副作用だ
十分に酒が抜け、違反基準に満たないのに、「警察に捕まったら社会生命を絶たれる」と思って、いらぬひき逃げ・あて逃げがあちらこちらで起きている。厳罰化されたのにひき逃げが増加したのは、ほとんどがこれだろう。物損程度の軽い事故ほど多いのである。
交通事故のマトリックス


被害が甚大な事故ほど少なく、原因が悪質なケースほど少ないものだ。
このふたつの要素をひとつの図(分布図)にすると次のようになる。


さらに過失割合を重ね、総合的に判定するのが本来の司法機関の役割であるはず。
このように事故の責任を追及することはたいへんな作業なのである。
それなのに警察は、事故の点数ですべてを決めている。
裁判所はというと、法令がきわめて明確な線引きとなって、単純に違法性を認めている。
つまり、交通規制を厳しくするほど、裁判所も警察/検察も仕事が楽になるわけだ。
美しい国≠フ現実
絵空事のようなタテマエを法制化し、妥当性の議論をタブーにする。
しかし、元がタテマエだから、法律違反が常態化するわけだ。
一方、それを裁くお奉行さまが活躍する舞台は広がります。常態化した法律違反のどれを裁くかはお奉行さま次第である。
「かわいそう・・・」という世論を扇情できるケースを選べば、お奉行さまの人気はうなぎ昇りとなります。
そして崇高な法令≠疑うことを知らない民衆は、目に付いた法律違反をお奉行さまに上申して、それを処罰してもらうことが唯一の問題解決法だと思っている。
つまり、自分の手を汚さず、お上を頼ろうというわけだ。
こうした法令の聖域化≠ニお上を頼ろうとする民衆≠ノよって、法治国家の体裁を取り繕った官僚主権の国が完成します。
警察の仕事は犯罪者をつくること?

警察の仕事は取り締まりだ!
警察官はこういってはばかからない。しかしながら、司法警察職員(捜査権を持つ警察官)にまず期待されているのは犯罪の捜査である。
なのに警察は捜査のいらない取り締まりの必要性ばかりをアピールしている。
こうして警察は、手間のかかる捜査ができなくなり、捜査のいらない交通違反を量産する法律をつくることばかりに精を出すのだろう。