平成18年1月25日宣告 裁判所書記官 長谷川 穀
平成17年(う)第2735号

判決

本 籍 横浜市港北区大豆戸町180番地205
住 居 同市金沢区富岡西三丁目18番9号 グランデュール富岡201号室
会社員
野村 一也
昭和40年2月25日生

上記の者に対する業務上過失傷害被告事件について,平成17年10月7日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し,被告人から控訴の申立てがあったので,当裁判所は,検察官田中良出席の上審理し,次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を禁固1年に処する。

この裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予する。

原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

本件控訴の趣意は,弁護人高谷進作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから,これを引用する。

1 論旨は,事実誤認及び量刑不当の主張であり,要するに,(1)原判決は,被告人が,対面信号が赤であるにもかかわらず,原判示の丁字路交差点(以下「本件交差点」という。)に進入したものと判断したが,被告人は対面信号が黄色表示の段階で本件交差点に進入したものであり,山*幸*が同人の対面信号が赤であるにもかかわらず本件交差点に進入したために,本件事故は発生したのであるから,被告人は注意義務を果たしており,原判決は,被告人の過失について事実を≪ここまで1ページ目 - 改行 - ここから2ページ目≫誤認している,(2)被告人が,対面信号が黄色から赤に変わった直後に本件交差点に進入した可能性は否定できないが,その場合であっても,被告人の過失は比較的小さく,山*の重大な過失を勘案すれば,原判決の量刑は重きに失する,というのである。

2 そこで,まず,(1)の事実誤認の主張について,原審記録及び証拠物を調査し,当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに,弁護人の論旨を検討する過程で原判決の認定に事実誤認があり,これが判決に影響を及ぼすことが明らかであると認められるに至ったので,原判決を職権により破棄することとする。以下,その理由を説明する。なお,その中で,弁護人の所論が到底採用できないこともおのずと示されることになる。

(1)本件事故は,信号機のある本件交差点(その信号サイクルについては,原審甲4を参照)を元町方面から桜木町方面に向かい直進しようとした被告人運転の普通乗用自動車(以下「被告人車」という。)と,被告人から見て左方の弁天橋方面から元町方面に向かい同交差点を右折しようとした山*運転の原動機付自転車(以下「山*車」という。)とが同交差点内で衝突し,山*のほか,右方に逸走した被告人車との2次衝突を避けようとして転倒した歩行者佐**改憲が負傷したという事故であるところ,被告人は,原審第1回公判で,本件交差点に進入した時には自車の対面信号表示は青色直進可矢印の信号だった,したがって,山*の対面信号は当然赤であり,本件事故は山*の見切り発車によるものであると主張し(なお,山*車とぶつかったのは山*車が倒れた後であるとも主張している。),本件公訴事実中,被告人が,対面信号機の信号表示に留意し,これに従って進行すべき業務上の注意義務を怠り,同信号表示が赤色(青色左折可矢印)の灯火信号を表示していたのにこれを確認せず,本件交差点内に進入した過失により,信号表示に従って進行してきた山*車に自車を衝突させ,山*車ろとも同人を路上に転倒させたとする部分を争った。しかるに,原判決は,青色直進可矢印の信号で本件交差点に進入したとする被告人の主張を排斥して,上記公≪ここまで2ページ目 - 改行 - ここから3ページ目≫訴事実に沿う被告人の過失があったことは明らかであるとはしたものの,その一方で,山*車がその対面信号が青に交わる前に発進した疑いは残るとの判断を示して,山*車が信号表示に従って進行してきたとは認定しなかったものである。

しかしながら,原審で取り調べられた関係各証拠によれば,被告人が対面信号表示が赤色(青色左折可矢印)の倍音を表示していたのに,青色直進可矢印の信号を表示しているものと誤認し,同信号表示を確認せず,漫然,本件交差点内に進入した過失があったことはもちろん,一方,山*車がその対面信号表示に従って発進し,進行したことも優に認定できるところであって,山*車に見切り発車の疑いがあるとして,同車が信号表示に従って進行してきた事実を認定しなかった原判決の認定は是認することができない。

(2)すなわち,原審公判においては,山*自身が,対面信号が青に変わるのを確認してから発進した旨を終始一貫して証言しているほか,被告人車の対向車線側右折レーンの先頭で信号待ちのために停車中に本件事故を目撃した保*尚*も,山*車は対面信号が青に変わってから発進したものであることを明確に証言している。

 原判決は,まず,保*証言中の上記趣旨を述べた部分の信用性について,「厳密な意味で対面信号機が青になってから山*車両が発進したか否かについては山*車両の方向を見て意識的に確認した事柄ではないため,十分視認できていない可能性があ」るとか,「山*車両を藩識した時点でその対面信号機が青であったことからの推測が混入している疑いがある」などと疑問を提示している。しかしながら,この点に関する保*証言の具体的内容は,同人から見て左斜め前方にある信号(山*の対面信号)が青に変わったのを確認した後,前方の元町方面に目を移したところ,原付(山*車)が右の視界に入った,原付と同じ弁天橋方面からタクシーもほぼ同時に発車した,原付が発車したのは信号が青に変わってすぐだった,車に比べて原付は加速がよかった,というものであって,そこに原判決が指摘するような信用性を疑うべき要素は何ら見当たらないというべきである。≪ここまで3ページ目 - 改行 - ここから4ページ目≫原判決の上記信用性判断は,保*証言を正しく評価したものとはいえない。なお,原判決も指摘するとおり,保*は,警察官に対しては,右方にある歩行者用の信号(佐**の対面信号)が青に変わったのを見てから,すぐに左斜め前方にある信号(山*の対面信号)に目を向け,これが青に変わっているのを見たと述べていたものであり(原審弁10),原審証言はこの供述を一部変更したものであるが,供述変更の理由について原審証言中で相応の説明を述べているのであるから,この点も,保*証言の信用性に影響するとは到底考えられない。
  次に,原判決は,山*証言も,対面信号が青に変わってから2,3秒後に発進したとする点などが措信できないとしているが(原判決6頁10頁),山*の原審証言中には,青信号になって発進してから被告人車と衝突するまでの時間が2,3秒だと思う旨述べた部分はあるものの,対面信号が青に変わってから2,3秒後に発進したと述べた部分は全く見当たらない。山*は,自車の対面信号が青に変わってから発車した,発車した時のスピードは10キロから20キロだと思うなどと証言しているのであり,その内容は,保*の上記目撃証言ともよく合致し,十分信用できるのに,原判決は,上記のとおり,山*の証言内容を誤解して不自然な点が見られるとしているもので,その信用性判断には誤りがある。
(3)ところで,原審公判においては,もう1名の被害者である歩行者佐**も,自らの被害に至る経緯及び被害状況を証言する中で,被告人車が逸走してくるのを現認した際の状況について次のとおり証言している。すなわち,佐**は,歩行者用対面信号が青になったのをきちんと確認してから横断歩道を渡り始めたところ,左斜め前方から車(被告人車)が来るのに気付いて,身を翻して歩道の方へ逃げたが,歩道の縁石に左足がつまずいて転倒し,その際,左ひざを路面にぶつけたなどと述べた上で,被告人車に気付いたのは歩道から歩き始めて3歩か4歩くらいだと思う,この間,距離にして縁石から1m50か2mくらい,時間にして数秒ではないかと述べている。

 佐**の上記証言が信用できることは,原判決も説示するとおりであるところ,≪ここまで4ページ目 - 改行 - ここから5ページ目≫原判決は,佐**の上記証言を基に,佐**が被告人車を認めたのは佐**の対面信号が青になってから2,3秒後と推定されるとして,本件事故の発生すなわち被告人車と山*車の衝突を,被告人の対面信号が赤に変わってから約5,6秒後と推定した上で,そこから更に被告人の対面信号が赤に変わった時点での被告人車の位置(走行地点)を推定し,被告人が対面信号に従っていれば本件交差点手前の停止線で停止できたこと,そして,そうすべきであったことは明らかであるとの結論を導いており(原判決79頁),この結論を導いた判断過程に特に誤りがあるわけではないものの,原判決は,山*車が本件交差点の手前で停止した地点から被告人車と衝突した地点までの距離が約18.2mであることなどを基にして更に検討を進め,山*車が時速約20kmの速度でこの距離を進行したとしても約3.25秒を要することなどから,山*車が,その対面信号が青に変わる前に発進した疑い,つまり,山*車の見切り発車の疑いは残ると判断したものである(原判決10頁)。
  しかしながら,山*車が発進した時点でその対面信号が青になっていたことについては,前記のとおり山*及び保*の一致した証言があるほか,佐**の上記証言の内容も,本件事故の発生すなわち被告人車と山*車の衝突が,佐**の対面信号及び山*の対面信号が同時に青に変わってから数秒彼の出来事であることを示している点で,山*及び保*の各証言の信用性を裏付けるものとみるのが相当である。原判決は,前記のとおり山*及び保*の各証言の信用性判断を誤った上に,山*の証言中,自車の発車時のスピードを10キロか20キロだと思うと述べた部分にとらわれて,その後の加速具合を考慮せず,衝突時までの走行速度が時速20km以下にとどまることを前提に推論を組み立てたために,山*車に見切り発車の疑いがあるとの誤った判断に至ったものと考えられる。

(4)一方,被告人は,本件事故直後の実況見分の際,及び警察官の取調べの際には,停止線の19.7m手前で対面青(直進可欠印)信号を認めた,そこから11.9m前進した地点,すなわち停止線の7.8m手前で相手(山*車)を認≪ここまで5ページ目 - 改行 - ここから6ページ目≫めた,相手を認め,危ない,ぶつかると思い,ハンドルを左に切りながらブレーキを踏んだが,回避できないと思い,今度は逆にハンドルを右に切った,相手の原付は減速して転倒し,転倒した原付に自車が接触した,横断歩道を横断しようとしていた歩行者のうち1人(佐**)が,歩道から1歩踏み出したくらいのタイミングで,自車にびっくりし,しりもちをついたなどと指示説明あるいは供述していた(原審甲1乙2)。被告人の上記指示説明及び供述内容は,前記のとおり信用できる山*,保*及び佐**の各証言に明らかに反しており,現場に残された被告人車のタイヤ痕や,被告人車及び山*車の破損状況,さらに,山*及び佐**の負傷状況などに焦らしてみても,到底措信できないものである。被告人は,原審被告人質問では,上記指示説明及び供述を一部翻し,いつもと同じようにこの信号は行けるという判断で,問題なく入っていった,直進の青だったと思う,明確な記憶はない,信号の変わり間際だったのだろうということは,結果として明らかだと思う,などと極めてあいまいな供述をしているが,これも,もちろん採用の余地のないものである。

(5)以上によれば,本件事故は,被告人車が本件交差点に差し掛かった際,対面信号機が既に赤色(青色左折可矢印)を表示していたのに,被告人が,青色直進可矢印を表示しているものと誤認し,その信号表示を確認せず,漫然時速約50キロメートルの速度で同交差点内に進入したために,左方道路から信号表示に従って進行してきた山*車と同交差点内で衝突したものであることが明らかである。つまり,上記と同旨の公訴事実は,原審で取り調べられた関係各証拠により,すべて優に認めることができるのに,原判決が,山*車に見切り発車の疑いがあるとして,本件公訴事実を一部後退させた認定をしたのは,安易に被告人の主張を一部容れ,被告人の過失の有無・程度に影響を与える重要な事実を誤認したものというべきであって,これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから,原判決は破棄を免れない。

3 そこで,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄することとし,≪ここまで6ページ目 - 改行 - ここから7ページ目≫同法400条ただし書を適用して,更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は,平成16年2月6日午前8時ころ,業務として普通乗用自動車を運転し,横浜市中区本町5丁目49番地先の信号機により交通整理の行われているT字路交差点を元町方面から桜木町方面に向かい時速約50キロメートルで直進するに当たり,同交差点の対面信号機の信号表示に留意し,これに従って進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り,同信号表示が赤色(青色左折可夫印)の灯火信号を表示していたのに・青色直進可矢印の灯火信号を表示しているものと誤認し,同信号表示を確認せず,漫然上記速度で同交差点内に進入した過失により,折から,左方道路から信号表示に従って進行してきた山*幸*(当時32歳)運転の原動機付自転車を認め,急制動し右転把したが間に合わず,自車左側後部を同原動機付自転車に衝突させて,山*を同車もろとも路上に転倒させ,さらに,自車を対向車線に進出させて,その前方の横断歩道を歩行中の佐**政*(当時66歳)をして自車との衝突を避けるため退避を余儀なくさせて同人を路上に転倒させ,よって,山*に全治約10日間を要する左膝挫創,両下肢挫傷の傷害を,佐**に加療約33日間を要する左膝部挫傷兼擦過創の傷害をそれぞれ負わせたものである。

(証拠の標目)

括弧内の数字は,原審における拠等関係カード記載の検察官請求証拠の甲乙別の番号を示す。

≪ここまで7ページ目 - 改行 - ここから8ページ目≫

(法令の適用)
被告人の判示行為は被害者ごとに刑法211条1項前段に該当するが,これは1個の行為が2個の罪名に触れる場合であるから,同法54条1項前段,10条より1罪として犯情の重い被害者佐**に対する罪の刑で処断することとし,刑中禁錮刑を選択し,その所定刑期の範囲内で,本件過失の態様,被害者の傷程度などを勘案して,被告人を禁固1年に処し,情状により同法25条1項してこの裁判が確定した日から3年間その刑の執行を猶予し,原審及び当審における訴訟費用は,刑訴法181条1項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

よって,主文のとおり判決する.

平成18年1月25日
東京高等裁判所第3刑事部
裁判長裁判官   中川 武隆
裁判官    後藤 眞知子
裁判官    小川 賢司