最終更新:2009/5/11

ニッポンの速度規制の現状

時速100km
 
昭和30年代の高度成長期に道路公団が誕生し、ニッポンで初めての高速道路が建設された。
その当時の自動車は、時速100キロ程度の巡航がやっとであったこと、それから数字のキリがよいので、高速道路の制限速度は時速100キロとされた。
時速80km
一般有料道路の最高速度は時速80キロとされている。時速100キロ制限の高速道路より車線が多く、幅員が広く、カーブが少なくても、時速80キロ規制なのである。
一般有料道路の首都高速湾岸線は、規制と現実がかけ離れたケースの代表的な道路である。
時速60km
一般道路の法定速度。各都道府県警察は、法定速度を頂点とした「逓減式」によって、それぞれの道路での指定速度を決めている。 数kmにわたって交差点のない直線道路がザラにある北海道も大都市東京も、この時速60キロが上限なのである。
なお、時速60キロという数値は、政令によって決められている
時速50km
ニッポンの国道の約8割が時速50キロに規制されていると推測される。
時速60キロ規制にしないと、大多数のドライバーが不自然さを感じる区間になって、はじめて50キロ規制の看板がなくなる。
その条件は、片側2車線以上、中央分離帯、そして分離歩道だ。
時速40km
市街地の基本となっている規制速度。
また、曲がりくねった峠道の片側1車線区間も、この時速40キロが基本だ。
時速30km
住宅街の生活道路やセンターラインのない古い設計の狭い道路、それから市街地の裏通りなど、速度規制の必要性が考えられる道路の基準的速度。


逓減式の速度規制

 逓減式とは、まず頂点を定めて頂点との相対性において速度を低く設定していく方式である。 極端に簡単に例えれば、2車線で中央分離帯があれば時速60キロ、中央分離帯がなくなれば時速50キロ、1車線になれば40キロという具合だ。

 通行人が多ければ10キロ減らし、カーブがきつければ20キロ減らすという設定方法を基本としているのである。

 もちろんそれが実勢に合っている場合もあるが、多くの道路では実勢速度からかけ離れた規制となっている。

注)これは独自の調査結果に基づいており、警察の見解とは異なります。




すべての速度規制が低く据え置かれる理由

 時速60キロ規制が現実離れした道路(誰もが速度違反している道路)があったとしても、都道府県警察はそれを緩和することはできない。 なぜなら、法定時速60キロというシーリングがあるからだ。

 そして、法定速度は、時速50キロ以下の規制がされている道路にも影響を与えている。 たとえば、もし都道府県警察が50キロ規制の道路を60キロに緩和したとすると、「60キロ規制の道路をもっと高く設定してくれ」といった要望が発生する。

 しかし、60キロを超過した速度を認めることは、都道府県警察の権限を越えてしまうのでできない。だから50キロの道路も、40キロの道路も、現実離れしたままに据え置かれることとなるのである。

 したがって、速度規制と速度取締りの問題を解決するには、(実質的に警察庁が決める)法定速度を変えてもらうほかに手段はないのである。



低い法定速度がもたらす悪影響

 警察の決めたスピード規制を厳守した運転をイメージしてみよう。 それが片側3車線以上の道路で最も左のレーンを走行する場合には問題はほとんどないのであるが、片側2車線以下の道路では、規則を守ることがかえって危険なシーンは決して少なくありません。

 また“流れ”を重視するドライバーと、“規則”を重視するドライバーとの速度差が、不用な摩擦を生んでいるケースもひんぱんにみられます。

“流れ”を重視するドライバー 「タラタラ走ンなよ!」
“規則”を重視するドライバー 「な、なんだ。私はなんにも悪くないぞ」

 現在、急ぐクルマがマイペースのクルマを尊重することが正当化されても、マイペースのクルマが急ぐクルマに配慮する必要性が話題になることは、まずない。 なぜなら、急ぐクルマは常に違反しているからだ。 つまり、実勢速度と比較しての規制速度があまりにも低いことが、ドライバー同士の反目を助長しているのである。

 規制速度を実勢速度に近づけることができたんなら、急ぐクルマはマイペースのクルマに配慮し、マイペースのクルマは急ぐクルマに配慮するようになるはずだ。 このように自主的に譲り合うことがロード・シェアリングの概念である。

 残念なこの国の非現実的なスピード規制は、自主的な譲り合いを阻害していると言っても過言ではないのである。