
かつて、学校教師と警察官は聖職≠ニされ、尊敬されていた。
それが現在、この2種類の公務員は、どうにもならないほど信頼を失っている。
ところで、学校と警察という身近な行政組織には、○×委員会というあまりイメージのつかない組織がくっついている。それぞれの○×委員会には○×委員がいて、次の点で共通している。
もしや、学校と警察が堕落した原因は、 ○×委員会システムにあるのではないだろうか。
教育委員会が十分に機能していないことから、政府の規制改革・民間開放推進会議
は教育委員会の設置をそれぞれの自治体の判断に委ねる選択制を導入する方向で検討するべきとしていた。
それが小中学生の自殺が相次いだことによって、なぜか教育委員会強化論が起こり、そして、規制改革・民間開放推進会議は、教育委員会の設置義務撤廃を先送りした。
教育委員会が事務局を持ち、それなりの事務吏員を抱えるのに対し、全国の公安委員会に事務局はおろか、独自の事務スタッフさえ存在しない。いるのは公安委員会室担当の警察官である。
警察を管理するはずの公安委員会の事務を、管理されるはずの警察官がやっているのだからまるで笑い話だ。
ちなみに、警察不祥事が多発し、火消しのために発足した警察刷新会議は、まるで世論の沈静化を待つかのように1年もの時間を費やし、そしてようやく出てきた提言には次のように記されている。
つまり、それまでは公安委員の先生方には、執務室(お仕事をする部屋)もなく、お手伝いスタッフさえいないことが当たり前だったわけだ。
○×委員会を持つ学校と警察を比較すると、もっとも違うのは地方自治性の度合いだ。
公安委員会に基礎的な人事権はなく、警察庁から送られるエリート達がこれを取り仕切っている。また公安委員会の存在によって、都道府県は都道府県警察を管理することができなくなり、事実上、都道府県警察は警察庁の直轄組織となっている。
警察庁は、都道府県警察の自治性を強調する。しかし、部長級以上のポジションを警察庁のキャリア官僚が占め、人事権も掌握し、軍隊のようなトップダウンが行われる都道府県警察で自治性が生まれるはずがない。
警察庁主催の全国本部長会議に全国○×部長会議、そのほか諸々の会議を源とするトップダウンによって、全国一律の中央集権的な警察行政が行われているのが現実である。
そんななか、独自の事務スタッフも執務室もなく、ぐるりと警察幹部に囲まれた会議に週に1度出席する非常勤の老人たち(公安委員)に、はたして何ができるというのだろうか。
なのに、すべての警察官は、システムの形式的な部分ばかりを強調している。
明快でわかりやすい大儀 / 複雑でわかりにくいシステム
これはお役人が納税者を黙らせるセオリーだ。
複雑な令規、○×委員会を使った複雑な中枢システム、○△協会を多用した複雑な末梢システム――etc. 複雑なシステムと対照的に、お役所の広報課は、抽象的でわかりやすい大儀ばかりを繰り返している。
複雑なシステムは、どんな問題も難解化させてしまうので、新聞や週刊誌も表現に手を焼くし、せっかく書いても、複雑なシステムを交えた記事では一部の人にしか読んでもらえない。
テレビのニュースやワイドショーのレベルでは、システムの説明だけでチャンネルを変えられてしまう。
だから、実態を精査するとまるで詐欺のような責任転嫁システムがいつまでも生き残ってしまうのだろう。
シンプルでわかりやすいシステム
おそらく今のニッポンに必要なのはこっちだろう。
だから本サイトでは、お役人の用意した複雑なシステムにまともにつきあってわかりにくくするよりも、コラムレベルの表現にとどめる場合があります。