ニュートラル・ポジション


夢を追うひと、リスクを減らすひと

会社主義国家

 かつて、いい会社(大きな会社)に入ることは、豊かさを手に入れるセオリーであった。夢を追求したり、職業に対する適性を推し量ることよりも、とにかく大きな会社にはいること、これが豊かさを手にするために最もリスクの少ない手段であったのだ。大きな会社ならずとも、右肩上がりの時代において、勤続年数という"横並び"は、積極的に評価された。

 家に帰れば、家長としての権限があり、家族は当然のようにそれに従った。また、仕事を口実にすれば、すべてが許された。休みに家でゴロゴロしようが、家族を置いてパチンコにでかけようが、どれだけ家庭を顧みずとも、これを問題視する風潮はなかった。

 いつ頃までだったか、ニッポンはこのような会社中心の社会であった。しかし、時の流れのなかで、会社中心の社会は一変していった。右肩あがりの経済が終焉し、社会の構造的な問題が顕在化し、そうしたなかで、終身雇用と年功序列が崩れていったのである。

 そして今、夢を持たず、自身の適性を省みることのなかった会社人間たちは、リストラや老後の不安に戦々恐々としている。こうして会社人間のプライドはずたずたになっていった。

 終身雇用が守られた公務員のなかには、会社人間と同様の傾向を示す職種がある。

学校教師
 プロを育成するシステム作りを怠った文部科学省と学校は、ダメ教師を量産した。彼らダメ教師は、勤続年数という"横並び評価"を"キャリア"と呼び、これを心の支えとしているようだ。

警察官
 不平不満を漏らすことが組織への反逆とみなされる警察官は、仲間内や家庭内で愚痴を言い合うことしかできない。

 学校教師と警察官の大きな共通点は、転職の難しさにある。他の職業で通用する「つぶしの利く能力」がないため、辞めたくても辞められないのである。

 そして、聖職の従事者たちは、情けないわいせつ事件をひんぱんに犯すようになっていった。

 会社人間や専門公務員のプライドが崩れると同時に、家長としての権威も失われ、そして家族たちは、家長の口実「仕事だから・・・」を許さなくなった。おそらく、子供や家庭の問題の根本は、このような家長の権威失墜にあるのだろう。

公務員に夢はあるか

 かつて栄えたニッポンの原動力は、家庭を犠牲にした会社人間たちの労働であった。そして、高度成長期はとっくに終わり、低成長から円熟または衰退に向かうニッポンの課題は、「雇用のミスマッチ解消」だ。平たくいえば、自分の適性や能力に見合った職業に就くことである。

 しかし現実、ミスマッチ公務員が解放されることはなく、「なりたい職業」と「子供になってほしい職業」の上位に公務員が並ぶ現実は、この国の夢のなさを象徴するかのようだ。