初出:2002.8 最終更新日:2006.9.13
2002年6月、「悪質な違反者への重罰化」を掲げた改正道路交通法施行令が施行された。これは“行政罰の強化”であり、刑法改正による危険運転致死傷罪(刑事罰)新設と起源を同じくするものだ。法令改正にいたる経緯とその効果を考えてみたい。なお、世論の注目を集め、法令改正のきっかけとなった重大事故は、すべてトラックが起こした事故である。

刑事罰システムへの不信感

いくつかの重大事故の後、被害者遺族らの地道な活動がマスコミに取り上げられ、やがてそれが世論となり、そして法改正が検討されることになったのである。被害者遺族らが訴えた刑事司法への不信感は、次の3つに要約できる。

A 刑法への不満(刑法上の罰が軽すぎる)
B 検察への不満(罪を問うのは検察次第)
C 裁判所へ不満(罰をくだすのは裁判所次第)

そしてAが影響を及ぼしたのが「危険運転致死傷罪」の施行である。

行政罰システム改正のプロセス

(1)左フレームを『改正経緯』に切り替え、「運転免許の欠格期間及び点数制度についての提言」をクリックし、最も下にある「提言の根拠となる資料」をチェックしよう。そこに事故統計はなく、代わりに「最近の重大事故事例」があるはずだ。 こうした提言が作られる際には統計を盛り込むのが定石だ。それがないのだから事故数の増減は問題としなかったわけだ。

(2)この提言がそのまま、警察庁内で改正案を取りまとめる重要な根拠となり、そのままの項目を生かしたモノが「案件」として閣議に提出されたのである。

閣議☆ザ・密室政治

(3)そして田中真紀子更迭問題のゴタゴタのさなか、小泉首相がこの「案件」にサインをした。


警察庁統計より作成

以上の経緯を踏まえると、次のことがハッキリする。酒気帯び基準の引き下げ、点数アップなど行政罰が強化は、いくつかの“悲惨な死亡事故”によって喚起された世論を受けたものである。そして、成立する過程において事故統計は問題とされていない。

行政罰システム改正の概要

1 違反行為の基礎点数の引き上げ 

  1. 酒気帯び測定基準の引き下げと点数の引き上げ
  2. 酒酔い運転、共同危険行為、無免許運転の点数引き上げ

2 不可点数の引き上げ等 

  1. 免許の不可点数の引き上げ
  2. 免許の欠格期間の延長
  3. 点数累積等の特例の見直し
     (無事故・無違反の期間は、有効免許の期間で計算されることとされた)

3 刑事罰の強化

※道路交通法違反は、そのほとんどが裁判所を通さずに処理されている。

いい替えれば、行政(警察)が事実上の司法機能を握っているのである。

予想される行政罰システム改正の効果

1 酒気帯び測定基準の引き下げと点数の引き上げ

一般のドライバーが最も大きな影響を受けるのが、酒気帯び基準が半分になることだろう。なぜなら、平成13年中、酒酔い・酒気帯び運転の検挙数は222,301件、無免許運転は77,957件であった。違反を認定する基準が約半分になるのだから、検挙数は2倍になってもおかしくない。「ビール少しだけなら」というドライバーは相当数いるはずなのだ。

共同危険行為は統計の項目すらない(警察白書ほか)。統計に示せないほど、警察が取締りに消極的なのであれば、いくら処分を強化しても確信犯への抑止効果はないといってもよいだろう。

ここで、行政処分が強化された経緯を振り返ってみよう。

最も影響を与えた東名高速での重大事故は、プロドライバーが業務において日常的に行っていた飲酒運転である。しかし、高速道路での飲酒運転の取締りに対し、警察は消極的だ。

ところで、改正にはスピード違反の罰則は盛り込まれていないが、重大事故が多いとされる夜間のスピード取締りに警察は消極的だ。これを証明することは不可能なのであるが、ある程度経験のあるドライバーなら誰もが気付いているはずだ。

つまり、日本の道路ではダブルスタンダードが確立している、といっても過言ではないのである。ダブルスタンダードのオモテ側は、交通安全運動の期間中に、目立つ場所での取締りに精を出す警察官に象徴される。そしてウラ側は、ドライバー任せの夜間や飲酒検問のない高速道路に象徴される。

したがって、ダブルスタンダードをよく知る常習者への抑止効果は、さほど期待できないといえる。もちろん、交通安全運動の週間中に主要幹線道路で行われる飲酒検問には、劇的な効果があがるだろう。

2 ひき逃げへの付加点数の大幅アップ

検察が「ひき逃げ」を立証できなかった隼ちゃん事件をみてみよう。(⇒事件の考察
このように大型トラックのドライバーが「気付かなかった」といえば、「ひき逃げ」を立証することはできない。そして2002年の改正法令も大型トラックの特典≠正すものではない。

さて、警察の検挙率は20%を切り、道路には人身事故の目撃者に協力を呼びかける看板があちらこちらに立つようになった。2002年の改正法令で、ひき逃げへの付加点数の大幅にアップされる背景には、罰則強化によって捜査力の低下を補おうとする意図があるはずだ。

一連の警察不祥事後、「捜査に非協力的な市民が増えた」といわれているが、警察が嫌われる原因を厳しく自己評価しないで、罰則強化によって「ひき逃げ」を減らそうという施策は、「法律万能主義」任せの安易なやり方だといえるのではないだろうか。

警察任せのシステムで大丈夫なのか?

「悪質・悲惨な交通事故をなくす必要性」を否定する人はどこにもいない。しかし、問題の根本は、刑事司法システムが、司法関係者だけのものになっていて、被害者遺族もカヤの外に置かれていたことにあるはずだ。

被害者遺族であっても司法に参加ができないことが、裁判官に涙をみせながら、被害者には視線さえ合わせようとしない加害者が後をたたない要因となっているのだろう。罰の決定権のある方だけを向いてしまうのである。

そしてこの問題には、司法制度の根本に変革を求める多くの意見と軌を同じくする部分も存在する。それは国民の司法参加によって、審判の「公正さ」を確保することだ。

では、2002年の改正法令の「公正さ」はどうだろう?

行政処分の罰則強化の大儀は、「悪質な違反の抑止」「悪質な違反者への制裁と排除」のようである。それはそれで必要なことだろう。しかし、行政処分の運営は、刑事司法よりさらに国民から遠い場所で行われており、公正さの点において大いに疑問だ。それに警察の行政運営は極めて不透明であり、警察を管理するはずの公安委員会には実体がないに等しい。

交通違反処理システム

さらにそれ以前の問題として、警察が行う事故の調査・分析手法が稚拙であるとの指摘も少なくない。

このように、警察が捜査して、警察が処分して、警察が不服を審査するようなシステムでは、決して公正さは確保できないだろう。

もちろん、警察の判断が常に正しければそれでも良いのかもしれない。

しかし、警察への評価は、「思い込み捜査」「都合の悪いものは隠す」「権威が優先」「決してまちがいを認めない」などなど、疑問の声は後をたたない。

このように、あまり信用されなくなった警察に、はたして自主的な公正さだけが頼りのシステムを任せてよいのだろうか。


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